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第159回 民事信託 ~導入編~

 厚生労働省の推計[1]によると、2025年には認知症の有病者数が約700万人になるようで、認知症の家族の介護で頭を抱える人も多いのではないでしょうか。もっとも、介護等の身の回りの世話だけでなく、財産の管理でも困ることはあるかと思います。例えば、父親が収益不動産を所有する場合、新たな入居者との賃貸借契約等については所有者である父親が行う必要がありますが、その父親が認知症になれば一体誰が契約するのでしょうか。家族だからといって当然に父親の代理権を有するわけではありませんし、委任してもらおうにも認知症になった後では意思能力に問題があり、困難な状況です。
 このような事態に対処すべく認知症対策の方法として近年、民事信託という方法が注目を集めています。今回は、民事信託の概要を説明していきたいと思います。

 

1.民事信託とは?
 民事信託を考える前に、そもそも信託って何でしょうか。信託法2条1項には信託の定義として、「特定の者が一定の目的…に従い財産の管理又は処分及びその他の当該目的達成のために必要な行為をすべきものとすること」と定められています。要するに、信託とは目的をもって誰かに財産の管理や処分等の権限を与えるということです。そして、権限を与える人=信託する人を委託者、権限を受けた人=信託される者を受託者、信託によって利益を得る人を受益者[2]といいます。
 信託は一般的には商事信託と民事信託に分けられますが、確立した定義はなく、受託者が営業として引き受ける信託を商事信託、非営業の信託を民事信託として分類されることが多いようです[3]
 例えば、高齢の父、母、子供1人の3人家族を例に挙げます。父は収益不動産を所有しますが、高齢で認知症が心配です。そこで、父は自身が認知症になって意思能力を失う前に子供に不動産の管理処分等を任せることとし、また、不動産により得た収益は妻に帰属するようにします。この場合、委託者=父、受託者=子供、受益者=母ということになります。

            信託行為

  父           →           子

(委託者)                   (受託者)

          信託財産:不動産        ↓
 
                          母

                        (受益者)

 

2.民事信託を利用するメリット ―後見との違い―
 では、民事信託のメリットは何でしょうか。隣接する制度として後見制度、遺言がありますので、これらと比較しながらみていきましょう。
(1)目的
  民事信託の目的は財産管理及び財産承継であり、他方、後見制度の目的は身上監護及び財産
 管理です。したがって、財産管理という点では目的を共通にしますが、身上監護を目的とする
 か否かという点で違いがあります。
  また、民事信託では財産の管理だけでなく、運用や処分も可能ですが、後見の場合には基本
 的に財産の運用は認められず、処分もできる場面は限られています。
(2)効力の発生/終了時期
  効力の発生時については、任意後見や法定後見の場合は基本的に家庭裁判所の審判の確定時
 ですが、民事信託の場合は一般には契約締結時です(信託法4条1項。ただし、同条4項のと
 おり、効力の発生時期を契約で設定することができます)。
  また、効力の終了時期については、後見の場合は基本的に本人の死亡時に終了しますが、民
 事信託の場合は本人(=委託者)の死亡は信託の終了事由とはされていません(信託法163
 条)。そのため、親から子、子から孫へと世代をわたって財産を承継させることができます(
 信託法91条参照。詳細については別の機会に取り上げる予定です)。
(3)対象の財産
  法定後見の場合には基本的に全ての財産が対象になりますが、任意後見や民事信託の場合に
 は対象の財産を任意に選択することができます。もっとも、任意後見の場合には、本人の意思
 能力が低下した時点で効果が生じるため、実際には後見人が本人の財産を全て一括して管理す
 ることが多いと思われます。
  なお、後見の場合には本人の代理人として財産を管理するのに対して、民事信託の場合には
 受託者の名義で財産を管理しますので、その点も大きく異なります。
(4)裁判所の関与
  法定後見の場合には家庭裁判所の関与が強いことは言うまでもなく、任意後見の場合でも選
 任が必須である任意後見監督人を介して家庭裁判所が関与します。
  他方、民事信託の場合には裁判所が関与することは基本的にはないと思われます。

3.民事信託を利用するメリット ―遺言との違い―
(1)目的
  遺言は財産承継を目的としていますので、財産の承継という点では民事信託と遺言は目的を
 共通にします。実際、遺言代用信託といって遺言と同様の効果を実現し得る信託方法もありま
 す(信託法90条参照)。
(2)効力の発生時期/財産の承継時期
  民事信託は基本的には契約時に効力が生じるのに対して、遺言の場合は本人(遺言者)の死
 亡時に効力が生じます。なお、民事信託も遺言も停止条件を付すことができ、その場合には条
 件が成就したときに効力が生じます。
  また、遺言の場合には本人の死亡時に効力が生じ、その時点で相続人や受遺者に財産が承継
 されますが、民事信託の場合は契約で財産の承継時期(本人の生前、死亡時、死亡後)を定め
 ることができます。
(3)財産承継の方法
  遺言では遺言書に記載した全ての財産が相続人や受遺者に一括して承継されます。他方、民
 事信託の場合には、信託の対象財産について一括して承継させることもできますし、一部を承
 継させることもできます。

4.“万能ではない”民事信託 ―遺留分との関係―
 ここまでの説明を聞くと、民事信託は自由度が高く、万能な制度ではないかと思われるかもしれません。しかしながら、民事信託は自由度が高いとはいえ、決して“万能”というわけではありません。
 民事信託では遺言と同様の効果を実現することができると述べましたが、遺言を考えるにあたって常に考慮する必要がある遺留分に関して、民事信託ではどのような影響があるのでしょうか。
 この点について、民事信託に関して有名な東京地判平成30年9月12日/平成27年(ワ)第24934号があります。
 事案の詳細は省略しますが、裁判所は、以下のとおり述べて、遺留分制度に潜脱する意図で信託制度が利用された場合には公序良俗に反して(当該信託に係る部分については)無効であると判断しました。

……各不動産を本件信託の目的財産に含めたのは、むしろ、外形上、原告に対して遺留分割合に相当する割合の受益権を与えることにより、これらの不動産に対する遺留分減殺請求を回避する目的であったと解さざるを得ない。したがって、本件信託のうち、経済的利益の分配が想定されない…各不動産を目的財産に含めた部分は、遺留分制度を潜脱する意図で信託制度を利用したものであって、公序良俗に反して無効であるというべきである。

 この裁判例からも明らかなとおり、基本的には民事信託の設定によって遺留分侵害請求を免れることはできません。

5.専門家の責任
 民事信託では家族間で契約を交わすことが多いのではないかと思われますが、契約書の作成には信託法等の理解が必要であり、契約の内容も複雑となることも考えられます。さらには、信託財産が不動産である場合には信託契約に基づき登記手続を行う必要があったり、税務申告についても考える必要が生じます。そこで、民事信託の設定には弁護士や司法書士、税理士等の専門家が関与することが多いと思われます。
 では、民事信託に関わる専門家はどのような責任を負うのでしょうか。
 この点が問題となった裁判例として、東京地判令和3年9月17日/平成31年(ワ)第11035号があります。
【事 案】
・原告は、自身の認知症等に備えて民事信託を利用することを考え、民事信託の利用に必要な事
 務処理を目的とした委任契約を司法書士である被告との間で締結した。
・原告は、信託財産の一つである不動産について大規模な修繕等のために同不動産に抵当権を設
 定して金融機関から融資(信託内融資)を受けたいと考えていた。
・ところが、信託契約の公正証書を作成し、信託の登記手続を行った後に金融機関に信託口口座
 の開設等を申し込んだものの、信託内融資を受ける見込みが立たなかった。
・そこで、被告が委任契約の債務不履行に基づく損害賠償や、信託内融資を受けることができな
 い旨を説明する義務を負っていたにもかかわらず、同義務に違反したとして原告が損害賠償を
 請求した。

 (詳細は省略しますが)説明義務違反の点に関して、裁判所は、信託内融資、信託口口座等に関する対応状況等の収集、調査等を行った上で、その結果に関する情報を提供するとともに、信託契約を締結しても信託内融資及び信託口口座の開設を受けられないというリスクが存することを説明すべき義務を負っており、そのような説明等をしなかったとして、被告に対して不法行為に基づく損害賠償責任を認めました。
 この裁判例は、信託内融資や信託口口座等に関して、法令はもとより、金融庁等からも具体的な指針等もなく、各金融機関の裁量に応じた取扱いがなされていたという中での判決ですが、民事信託に携わる専門家としての責任が問われたものであり、我々弁護士も含めて民事信託に関わる士業にとっては留意すべきものであるといえます。

 民事信託は、普及しつつあるとはいえ、裁判例の集積もまだまだ少ないですが、自由度が高く、少子高齢化が進む我が国における認知症対策の方法として可能性を秘めているのではないかと思います。もっとも、気をつけなければならないのは、あくまで民事信託は一つの選択肢に過ぎないということです。この点は日本弁護士連合会のガイドライン[4]でも示されています。
 今回のコラムでは民事信託に関する導入編として説明させていただきましたが、また別の機会に民事信託に関するコラムを投稿させていただく予定ですので、そちらもぜひご覧ください。

以 上


[1] 「認知症の人の将来集計について」

https://www.mhlw.go.jp/content/001061139.pdf

[2]  受益権の定義について、信託法2条7項には、「信託行為に基づいて受託者が受益者に対し負う債務であって信託財産に属する財産の引渡しその他の信託財産に係る給付をすべきものに係る債権(以下「受益債権」という。)及びこれを確保するためにこの法律の規定に基づいて受託者その他の者に対し一定の行為を求めることができる権利をいう。」と定められています。

[3] 「信託フォーラム第12号」22頁「民事信託と遺言の使い分け」友松義信

[4] 「民事信託業務に関するガイドライン」

https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/activity/civil/minji_shintaku_guide.pdf