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第149回 「株主至上主義vs公益資本主義」から独立役員のミッションを考える

1 「脱・株主至上主義」の動き
近年、アメリカの「株主至上主義」(株主第一主義)に対し、「公益資本主義」の動きがあるとされます。曰く、株主至上主義や株主資本主義は英米を中心としたアングロサクソン系の(聖書に淵源をもつ)ひとつの考え方に過ぎず、世界的にみれば決してグローバルスタンダードではない、100年企業[1]や200年企業はざらで、中には1000年を超える長寿企業があるわが国には、昔から「三方よし」という公益資本主義の考え方が根づいており、アメリカ的な行き過ぎた株主至上主義に追従すべきではない、というものです。「公益資本主義」を一言でいえば、「会社は『社会の公器』、株主だけのものではなく、従業員や顧客、取引先をはじめとしたステークホルダー全体(公益)のためのものだ」という考え方といってもよいでしょう。
実際、約2年前の2019年8月には、彼の地アメリカの経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」が株主第一主義を見直し、従業員や地域社会の利益を重視した事業運営に取り組むとする声明を発表したと報じられています。
この点、私自身はまだ定見をもちあわせていないのですが、会社と株主・従業員等の関係をどのように理解するかは、会社経営のあり方をめぐる様々な論点とも密接に関連します。折しも株主総会シーズンが近づいており、この議論をあらためて私なりに整理すると、次のとおりです。

2 「会社は誰のためのものか」と「会社は誰のものか」
(1)まず、会社は「誰のためのもの」か?
「会社は社会の公器であり、株主だけでなく、従業員をはじめとしたステークホルダ
ー全体のためのものだ」、「だから、経営者は、株主だけでなく、従業員、顧客、取引
先、債権者、地域社会といった様々なステークホルダー、さらには次世代の子どもた
ち、有限の地球環境・サスティナビリティといった公益にも配慮して経営を行うべき
だ。」
このような考え方はガバナンス・コードでも採用され(基本原則2)、とくに異論は
ないように思いますし、私自身もそのとおりだと思います。

(2)では、会社は「誰のもの」か?
これは「会社の所有者は誰か」という問いです。会社を「所有」するという表現には
違和感があるかもしれませんが、(経済分析や立法論は別として)今の法律上、最終的
に会社を動かしているのは誰か、株式会社とはどういう仕組みかと考えていくと、会社
の所有者は株主ということになりそうです。なぜなら、会社は「営利」、つまり稼いだ
金を出資者に分配することを目的とした自然人の集まり(営利社団法人)であり、取引
先をはじめとする各種ステークホルダーに支払った残余を最終的に出資者たる株主に分
配するための仕組みであること(その意味で、株主はラストマン)、そして、稼ぐとい
う目的のために会社の舵取りを託されたのが経営陣ですが(所有と経営の分離)、それ
ら経営陣を選任・解任し、会社の重要事項を決定するのは株主(株主総会)とされてい
るからです(会社法第295条)。
そもそも会社においてなぜガバナンスが必要なのかというと、経営の舵取りを託され
た経営者は株主の利益以外の利益を追求しがちであること(エージェンシー・コストの
問題)、つまり、本来、営利を目的とした「機能体」であるはずの会社が「共同体」化
するのをコントロールする必要があるからだといわれています(例えば、堺屋太一「組
織の盛衰」[2])。
結局、現行の会社法においては、株式会社は株主のものであり(その意味では、従業
員をはじめとしたステークホルダーのものではない。)、会社法の目的は株主利益を最
大化することにあると解するのが通説的理解です。
この点、前述した「公益資本主義」は、現行法の解釈論というよりは、より広い視野
からこれからの会社のあり方、立法の理念を論じた立法論といってよいでしょう。

3 歴史的にみて、どうか?
以上のことは、株式会社の歴史を振り返ってみると一層明らかとなります。
世界で最初の株式会社は、大航海時代の東インド会社とされていますが、これは、香辛料を調達して一儲けするために出資者を募り、航海で得た利益(もちろん失敗もあります。)を出資者に還元するための仕組み、つまり、機能体です。出資者から航海を託された冒険家は、航海を成功させるために優秀な船員を雇い、船や燃料を調達しますが、それはあくまで手段であって、目的ではありません。出資者たる株主が会社の「中の人」(機関)であるのに対し、従業員や取引先は会社と契約関係にたつ「外の人」ということもできるでしょう。

4 払拭しがたい違和感…?
しかし、「会社は株主のものだ」というのは多くの経営者の実感とズレがあるかもしれません。
実際、一口に「株主」といっても、創業時の苦しい時期にお世話になった長期保有の株主もいれば、グリーンメーラーや一部アクティビストのように、自己の短期的利益しか考えないショート・ターミズムの株主もいます。株主のおかげで会社経営ができているという実感も実態もないのに株主に感謝せよといわれても…というのが経営者の率直な感覚ではないかと思います。
でも、それは結局、「今の法律の仕組みはそうなっている」ということであり、実際、この仕組みのもとで株主に認められた権利(株主提案権や株主総会招集請求権)を行使し、経営陣を総入れ替えするケースも散見されます。
思うに、株式会社は、国民主権や民主主義と似たところがあります。国民主権は一種のフィクションですが、選挙による信認が法的強制力を伴うという意味では、決して軽視することのできない現実的な理念です。経営陣は、従業員に士気高く働いてもらうためにその職場環境やインセンティブ創出に気配りするのは当然ですが、同時に(否、それ以上に)、株主の意向も気にかけていなければなりません。経営陣は株主の委託と信認のもとに会社経営にあたる「受託者」である以上(株主が経営者を選ぶのであって、経営者が株主を選ぶのではありません。)、それはある意味、当然のことといってもよいでしょう。

5 独立役員のミッションとは?
ところで、最近、独立役員、とりわけ独立取締役に注目が高まっています。しかも、単に頭数を揃えればよいというものではなく、「なぜその人なのか」について、自社の成長戦略とスキルマトリクスを踏まえた説明が求められます。
ここに「独立役員」とは、社外役員の中から会社によって選ばれた「一般株主の利益を代弁する係」のことだとされていますが(商事法務「ハンドブック独立役員の実務」4頁)、この「一般株主」とは一体誰なのでしょうか?
支配株主や支配的株主でないことは東証の独立性基準をみれば明らかです(むしろこれらは独立性が明確に否定されています。)。つまり、一般株主とは、現行の会社法のもとで会社経営に有意な影響力を持ち得ない株主、換言すれば、総会の場で質問や意見はできても、それ以上の手段を持ち合わせず、一旦投資(出資)した後は株価の上昇や配当に期待するしかない少数株主のことと解されます。そういった一般株主の不満や疑問に思いを致し、一般株主の立場に立って経営陣に疑問や意見を伝えること、それが独立役員の主要なミッションです。
これは、選挙民によって選出された議員が、個々の選挙民の意見に縛られることなく、「何が選挙民の一般意思か」「何が公益に適うか」を自分なりに一生懸命に考えて行動するという、議会制民主主義(代議制)とも相通ずるものと考えられます。
これになぞらえて考えれば、独立役員に期待されているのは、何が一般株主の利益に適うか、何が自社の持続的成長と企業価値向上、さらには、自社の企業理念、存在意義、もっと言うと公益に適うかを常に客観的立場から自問し、経営陣との率直な対話を通じて「株主至上主義vs公益資本主義」の対立を止揚し、昇華させること、といえるのではないでしょうか。

 


[1] ちなみに、当事務所も2027年に創業100年周年を迎えます。

[2] 同書は、軍隊や会社のように、一定の目的をもった組織を「機能体」、構成員の幸福を目的とする組織を「共同体」と整理しています。