色川法律事務所Irokawa Law Office

法律コラム

第128回 メンタルヘルスと産業医

2019/08/01

1.最近の労働相談の中で、従業員の長期欠勤や欠勤の繰り返しあるいは、休職・復職を巡ってのご相談が増えています。その中で、最も悩ましいのは、疾患の内容が精神的な不調であり、その原因が職場の中にある(例えば、パワハラや長時間労働)と疑われるときです。
 このような労働者の就労についての精神的不調を巡るトラブルは今後も減るとは思われません。厚労省が発表した平成30年度の「過労死等の労災補償状況」によれば、精神障害に関する事案について、労災請求件数は1820件で前年度比88件の増加で過去最多でしたが、この件数は平成26年度の1456件以降着実に増加し続けています。

2.このような労働者の取扱いを定める上では、医学的な判断が最も重要ですが、主治医の判断と産業医の判断がしばしば異なることがあり、事業者としての対応を難しくすることがあります。
 主治医と産業医の判断が食い違って最も困る場面は、当該従業員の就労が可能かどうかという点が問題になる場合に、その意見が異なるときです。その多くは、主治医の意見が「就労可」、産業医の意見が「就労不可」という場合で、その逆はまずありません。そもそもなぜ、このようなことが起こるかといえば、同じ医師でも患者(当該従業員)との関係での双方の立場が違うことにあります。
 まず、主治医の依頼者は患者自身であり、その役割は患者の診断・治療にありますが、精神的な不調については、客観的な検査や診断方法がないため、患者の訴えを中心に判断するしかありません。したがって、患者自身が「調子が良くなりました。就労できると思います。」と説明した場合、主治医としてこれを否定する診断はできず、依頼者である患者とのトラブルを避けるためにもやむを得ないことであると考えられます。時には主治医からは「軽作業可」などという紛らわしい診断書が出される場合もあります。このような場合、事業者において、主治医と面談し、当該従業員の職務内容を説明した上で、病状に照らしてどのような就労であれば可能なのかを確認することができればよいのですが、そのためには患者本人の同意が必要ですし、多忙を理由に断られることもあります。また、仮に面談ができたとしても主治医から「就労は難しい」との回答を得ることはまず難しいといってよいでしょう。
 とはいえ、いざ裁判となった場合、主治医は、当該疾患について専門性があり、継続的に患者の状態の推移を診ていますので、その面からは信用性が高いと判断される可能性があるので軽視はできません。

3.他方、産業医の依頼者は事業主であり、その役割は事業場における「労働者の健康管理」一般であり(労働安全衛生法13条1項)、具体的な職務は主として事業者が行う健康診断の結果に基づく労働者の健康保持のための措置についての意見具申(場合によっては、個別の従業員との面接・指導)ということにあります。平成29年から法制化されたストレスチェックも産業医が実施しているのが50%くらいと言われています。
 産業医は主治医と異なり、事業場の労働者の就労環境については知識があり、当該従業員についても、従来の健診結果や欠勤に至った経過そして当該従業員の職務内容も詳細に知っているので、現実の就労の可否については具体的な根拠をもって検討できるのですが、この場合、欠勤ないし休職中の治療の経過や疾患の改善状況を主治医から聴取しておかなければ、現時点での就労の可否は判断できないのですが、主治医からの聴取が難しいことは産業医でも同じと考えられます。
 以上のような食い違いがある場合についての裁判例(多くは、復職を認めず解雇・退職となった場合の裁判例です)は相当数ありますが、産業医の「就労不可」との意見について具体的で合理的な根拠が示されれば、その意見が採用される場合が多いといえます。
 もっとも、産業医はもともと事業主から業務の委託を受ける者であり、事業主の利益のために働く存在だとみられる立場であり、その意味で信用性を疑われることがあることを考えるならば、事業主として産業医の意見にしたがって方針を立てる上では、より具体的・客観的な根拠があるかを精査しておく必要があります。

4.このような事案に備えて事業主が心がけた方がよい点をアトランダムに挙げると次のとおりです。煩雑で大袈裟と考えられるかもしれませんが、精神的に不調な従業員の存在は、単に業務運営上の支障というにとどまらず、職場全体のモチベーションに与える影響も大きく、そして対応を誤れば厄介な法的紛争を招くことも多いので、十分な留意が必要です。
(1)産業医は精神科医である必要はありませんが、職場のメンタルヘルスについて一定の知見を有する人が望ましく、そうでない場合は必要に応じて専門医に相談できるルートを予め用意しておくべきです。
(2)長期欠勤や欠勤の繰り返しが始まった時点から、その原因が職場にあると疑われるときは、その原因の探求を含め産業医への相談を始めておくべきです。これは、他の従業員の健康管理のためにも必要です。
(3)休職に入った場合、事業主は当該従業員から定期的に診断書を徴取するとともに逐次治療状況を聴取し、状況が好転しない場合には、産業医と相談しつつ必要に応じて主治医への聴取も試みて下さい。
(4)復職の時点において主治医と産業医の意見が異なる場合は、その相違の根拠を確認し、微妙な場合には、第三の医師の意見を求めることも有益です。
(5)休職期間満了に伴う解雇・退職の処分は争われることが多いので、その方向で進まれる場合には、内容面でも手続面でも弁護士との事前の協議・検討が必要です。

以上

執筆者:夏住 要一郎

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