コラム

Column

第112回 月に代わって、お仕置きよ

『小林さんちのメイドラゴン』というコミック原作のアニメがあります。要約するとSE(註1)の小林さんの家にトールという異世界のドラゴンがメイドとなって同居するというお話です(註2)。ところで、その小林さんは、上司からたびたびパワハラを受け、優先順位の低い仕事を押しつけられたり、それを後回しにすると使えない奴と罵倒されたりもします。小林さんは、表面上は気丈に振る舞っていますが、山で初めてトールと邂逅した時に涙ながらに不満を漏らします。結局上司は、パワハラ発言の録音データが会社の上層部に渡る(小林さんがそうしたことが暗示されます。)ことで、馘になるのです。

私は、会社時代は社内窓口として、現在も社外窓口として、内部通報を受ける仕事をしていましたし、しています。守秘義務があるので、あまり詳しくは書けませんが(王様の耳はロバの耳の気分です。)、内部通報を受ける仕事をしていると、いろいろな通報があります(註3)。例えば、パワハラがある、サービス残業がある、有給休暇が取得できない、退職勧奨がひどいとか、他人の印章の無断使用がある、W不倫があるといったものまであります。こういった通報の大部分は、調査しても、深刻な問題でなかったことがほとんどです。そして、実際にそのようなことがあった場合もなかった場合も職場の人間関係がうまく行っていないと表に出て来るようです。会社としては、重大な会計上の不正があるとか、安全性に係る検査等に不正があるとか、もう少し会社の行く末に甚大な影響がありそうな不正がないかを知りたい(本当は知りたくないが、あるなら早く知っておきたい)と考えているのでしょうが、そのような内部通報は、多分、ほとんどありません。(私は、受けたことがありません。経理処理におかしなところがあると通報を受けて、すわ一大事と思ったところ、後から間違っていたというのはありましたが。だからと言って、内部通報は、重大な不正発覚の端緒となったこともあるので、侮るべきではありません。)

これらの通報の中で、やはりやっかいなのはパワハラです。国(厚生労働省)は、職場のパワハラを「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」と定義していますが、この「業務の適正な範囲」が曲者です。この辺りが、被害者の受け止め方で大部分決まってしまうセクハラと異なっています(註4)。パワハラでは、上司の指導が「適正な範囲」を超えるかが問題となり、パワハラであるかどうかには、微妙な判断が必要となります。単に「被害者」がパワハラと感じただけではパワハラにはなりません。世の中、少々厳しく言わないと分からない者もたくさんいるわけで、特に危険を伴う作業の現場などでは、「それは危ないのでやめましょうね」では済まず、「この馬鹿、止めろ」くらい言う必要もあろうかと私は思うのです。(もちろん「この馬鹿」は余分だという考え方もあります。)(註5)

昔、会社にいたころ、内部通報制度創設と併せてコンプライアンス・マニュアルというものを作成し、その中で内部通報制度について説明することがありました。私は、そこに「月に代って、お仕置きよ」(註6)と書き込みたいと考えていたのです。良い歳をして純粋に会社の悪を懲らしめたいと思ったからです。しかし、今では、そのような目論見を口にさえ出さなくて本当に良かったと思っています。(まあ口に出しても上司に「あほか」と言われる(註7)のが落ちだったでしょうが。)そんな簡単に真実など分からないし、その善悪など判断することなどできないのです。各会社の内部通報窓口の担当者の方々は本当に大変苦労をされていると思います。(私もそうでしたし。)

(註1)SEとはシステム・エンジニアのことです。システム・エンジニア自体は和製英
語ですが、情報システムの仕様書を作成したり、上級プログラマーとしての役割を果た
したりする者のことです。私が大学を卒業したころ、まだそのような職業は一般的では
なかったのですが、会社には情報システム部という部署があり、私は、コンピューター
に興味があった(註1の註)ので、漠然とそのような仕事も面白いかなと思っていた時
期があります。それが道を踏み外し、会社の法務部門に配属され、そこから逃れられな
いまま、弁護士になってしまいました。
(註1の註)大学生の時は、大学の大型コンピューター(と言っても、今のスマホと比
べてもおもちゃのようなものです。)を触ってみたり、当時出始めたパソコンの祖先の
ようなもので、簡単なプラグラムを作ってみたりして遊んでいました。
(註2)シュールな設定なので、これだけの要約(私はうまく要約したと思っています
が)ではどのような話か分からないかもしれません。ところで、このアニメ、小林さん
がプログラミングをする言語がPython(普通パイソンと読みます。)だったりし
て、なかなか細部に凝ったアニメです。因みに何故パイソンだと細部に凝ったというこ
とになるかを説明しておきます。Pythonというのは、最近流行りのプログラミン
グ言語で、シンプルで分かりやすいということで、これまた最近流行りの人工知能関係
では非常によく使われています。このPythonという言語名は、直接的にはイギリ
スの『空飛ぶモンティ・パイソン』というテレビのコメディ番組に由来しているそうで
すが、そもそも英語のニシキヘビという意味を持つパイソン(Python)という単
語は、ギリシャ神話に出て来るピュートーンという(羽の生えた)蛇の怪物に由来しま
す。ピュートーンはドラゴンとも言え、ドラゴンの出て来る作品にふさわしいプログラ
ミング言語ということになります。(また、法律に関係ない、要らないことを書いてし
まいました。)
(註3)いろいろな通報があるということですが、一つ気になっていることは、たくさん
通報がある会社と全く又はほとんどない会社とがあることです。どちらかというとほと
んどない会社の方が多いのではないでしょうか。会社の規模とか、通報の勧奨の仕方と
か、風通しの良さあるいは悪さといった会社の文化とかいろいろな理由があるのでしょ
うが、どちらが良いとか悪いとかは一概には言えないようです。一体どこに違いがある
のかもう少し研究が必要なようです。
(註4)セクハラは、対価型セクシュアルハラスメントという、職場において、労働者の
意に反する性的な言動が行われ、それを拒否したことで解雇、降格、減給などの不利益
を受けることと環境型セクシュアルハラスメントという、性的な言動が行われることで
職場の環境が不快なものとなったため、労働者の能力の発揮に大きな悪影響が生じるこ
とという2つの類型があります。パワハラに比べセクハラは、被害者の受けとめが第一
ですから、曖昧さが少なく、多くのおじさん達を萎縮させたとは思いますが、少なくと
も昭和時代よりははるかに良くなったのではないでしょうか。いやまだまだ不十分とい
う声が聞こえてきそうですが、それは昭和時代をご存じないからだろうと思います。当
時、私が見聞きした、今なら笑い話となるようなセクハラエピソードというのは山ほど
あります。これは、私のいた会社がそんな会社だったいうのではなく、当時の日本に
は、今から考えるとセクハラであることは明らかなのに、ほとんど誰もいけないとこと
と思っていなかったセクハラが蔓延していたのです。当時のことを論っても意味がない
と思うので、例を挙げることはしませんが、本当に時代が違ったとしかいいようがあり
ません。
(註5)以前、事務所の中で、パワハラの勉強会のようなものがあって、いろいろな行為
について、これはパワハラだろうかという議論をしたことがあるのですが、どうも私
は、パワハラに対して、他の弁護士よりも甘いのではないかと感じました。私は、昭和
の残滓を引き摺ったままなのです。とはいっても、会社員時代、私は上司に恵まれてい
ましたから、パワハラの被害者とはなりませんでした。私も基本的には褒めて育てるこ
とが大切だと思っています。
(註6)ご存知(でもないかもしれませんが)、美少女戦士セーラームーンの決め文句で
す。なお、別に私は、決して好き好んで『美少女戦士セーラームーン』のシリーズのア
ニメを視たり、コミックを買ったりしていたのではなく、当時幼かった私の娘たちに付
き合っていただけですから、誤解のないように。
(註7)「あほか」もパワハラというご意見もありそうですが、温かい「あほ」と冷たい
「あほ」というのがあって、前者はパワハラではない、と私は思います。但し、これは
受け止める側の主観が重要ですから、軽々には使われない方がよいと思います。