コラム

Column

第143回 わが闘病あるいはインフォームド・コンセント

最後に法律コラムを書いてからかれこれ3年ほど経ちます。
平成29年10月13日の金曜日、私は、心筋梗塞で救急搬送され入院しました。それまでにほぼ脱稿していた2つの原稿は、退院後法律コラムとして掲載されたのですが、それから3年足らず、私の法律コラムは、掲載されることがなく、今回が久しぶりの登場です。今年になって、心筋梗塞等が再発しにくいようにと服用を続けている薬剤の副作用で大量下血して2度目の救急搬送をされ1.2リットルも輸血されたり、コロナ禍(註[1])の最中40度近い高熱を発し、これはもう駄目かと思ったりもし(幸いなことにコロナではありませんでした(註[2])。)、この3年弱の間に3度死にかかりましたが、それでも私は元気です(註[3])。

手術等が必要となると、その同意書の提出が求められます。私も、いろいろ説明を受けて、同意書に署名もしました(註[4])。救急搬送の時、意識ははっきりしていたつもりですが、それどころではない状況なので、同行した家族がその対応をしました。同意書には、こういった副作用があるとか、合併症で死ぬこともあるとかといったさまざまなリスクが確率込みで記載されています。直接の当事者である私は、もともとそんなものだろうと思っていたこともありますし、実際に生死を彷徨う状況では、脳内麻薬でも出ているのか、あまり深刻に感じないのですが、私に代わって署名を求められる家族にとっては、いかほどの修羅場だったでしょうか。

患者の自己決定権は尊重されるべきであって、手術等の身体への侵襲を伴う医療行為を正当化するためには、有効な「同意」が必要であり、その前提として、「同意」するか否かを決定するために必要な「情報」が与えられていることが必要であるとされています。このような、医療行為には十分な説明に基づく同意が必要であるという原則をインフォームド・コンセント(Informed Consent)と言います。判例では、手術を実施するにあたって、診療契約に基づき、「当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などが説明義務の対象となる」(最高裁平成13年11月27日判決民集55巻6号1154頁)と説示しています。この判決は、さらに「患者自身の生き方や人生の根幹に関係する生活の質にもかかわるもの」と言及して、既に医療水準として確立された療法(術式)(この件では「胸筋温存乳房切除術」)と医療水準として未確立である療法(術式)(この件では「乳房温存療法」)とがある場合、一般的には未確立の療法(術式)について説明義務を負わないとしながらも、未確立ではあっても、少なからぬ医療機関で実施されており、相当数の実施例があり、当該患者が適応である可能性があって、強い関心を示していることを医師が知ったならば、医師自身が消極的な評価をしており、実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、知っている範囲で実施している医療機関の名称所在などを説明すべきであるとしています。医療法1条の4は、医師等の医療の担い手が良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならない(1項)だけでなく、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない(2項)としています。この規定は平成9年の医療法改正で設けられたものです。厚生労働省も、「診療情報の提供等に関する指針」を平成15年9月12日に発出していますし、これに先立ち平成14年10月、日本医師会も「診療情報の提供に関する指針[第2版]」を公表しています。しかし、具体的にどのような情報の提供が必要なのかについては、各医療機関に任されたままです。なお、インフォームド・コンセントには、上記のような①当該医療行為を受けるか否かを決定するための説明に限らず、②療養方法等の指導としての説明、③治療等が終了した際における顛末の説明、④状況の説明、⑤他の医療機関・医師による診療が適切である場合の転医勧告等があると言われていますが、やはり最初のもの(①)が重要です。

インフォームド・コンセントに不備がある場合で、治療等で望まれない結果となったとき、たとい治療等で無過失であったとしても説明義務違反として損害賠償責任が認められることがあります。だからこそ説明をして同意書を取るということが一般に行われるようになっている訳です。ただ実験的な治療をするというならともかく、どうせ説明しても素人の患者にはよく分からないのではあまり意味がありません。(どのような患者にも分かるように説明しろというのも酷な気がします。)むしろ患者は説明を聞いて徒に恐怖感が煽られるのではないかとさえ思えるのです。どうせ外に良い選択肢があるわけでもなく、仮にあったとしても、どっちにしても危ないものを選べと言われるのは大変なジレンマです(註[5])。インフォームド・コンセントが求められるという趨勢は今後とも変わることはないでしょう。もっともインフォームド・コンセントの法理はご多聞に漏れず、アメリカで生成し、60年代から70年代に深化・進展したものです。ところが、アメリカでは、この法理を利用する医療過誤訴訟が急増したこともあって、この法理が判例・立法で退潮しているとの指摘もあります。日本の医療制度にマッチした、患者も幸せになれるインフォームド・コンセントに近づいていくように、十分に議論され、具体化されてガイドラインのようなものに結実していくことを望んで已みません。


[1] 新型コロナウイルス(SARS-CoV2。)及びこれによる急性呼吸器疾患(COVID-19)を区別せずに「コロナ」と、その感染拡大を「コロナ禍」ということにします。もともと、コロナは王冠という意味で、決して悪い意味ではなかったはずですが、このコロナ禍ですっかり味噌をつけてしまいました。

[2] コロナではありませんでしたが、朝の4時ころから高熱で寝られなくなり、すわコロナかと、あの志村けんが亡くなってからほどなくで、ちょっとばかし不安に駆られながら、自治体の相談窓口に電話をかけ続けるものの、3時間以上繋がらず、繋がったら繋がったで、相談窓口との電話での、(私)高血圧に糖尿病で、そこそこ高齢者で重症化リスクが高そうなのですが高熱が出ています、(窓口)咳はありますか、(私)いえ熱だけです、(窓口)最近海外に行ったり感染者と接触したりしたことがありますか、(私)海外は行っていませんが、感染者との接触は分かりません、(窓口)コロナではないので、近所のクリニックで診てもらってください、(私)え、ほんとに?断られたらどうしたらよいのですか、(窓口)そのときはまた電話してくださいといったやりとりの後、幸いのこと診てくれる病院が見つかったのですが、CT検査で感染症でないことが判明するまで、3時間くらい、寒い検査室で放置されるなど散々でした。部屋が寒いおかげ(?)で、38度台まで熱は下がりましたけど。結局、腸の炎症ということで、抗生物質で劇的に熱は下がりました。

[3] 心筋梗塞というのは、残念ながら寛解はしても完治はしないそうです。入院していた時、看護師さんに退院すると、最初のうちは周りの人も気を使ってくれるけれども、見た目は元気そうなので、だんだんと邪見に扱われるようになるよと言われ、今はそういう状況です。それまで入院などしたことなどなかったので、入院は、それまでの人生を振り返る良い機会でした。死生観も若干変わったように思います。
なお、厳しい闘病のためコラムが書けなかったと印象操作したようになってしまいましたが、正直に申し上げますと、別にそのようなことはなく、単に「書いて」と言われなかったことをいいことに書かなかっただけです。すみません。実際のところ、心筋梗塞自体は、それこそ私の機転で早々に救急車を呼べましたので、おそらく軽い部類だったのだと信じています。

[4] 私の場合、一旦退院後、検査の結果、当初ステントを入れた部分の血の通り方が不十分だったので、2度目のカテーテル・ステント手術をすることになり、その際に自分で署名しましたから、初めてどのような書類に署名するのかを知りました。その時はもうほぼ寛解状態だったわけで、落ち着いて説明を見るとなかなか怖いことが書いてあるなと思った次第です。下血の際の輸血でも同意書を取られました。輸血なんて血液型さえ合えば簡単なのかと思っていましたが、なかなか大変なことのようでした。(輸血と言えば、私は、心筋梗塞になるまで、長年の間、趣味のように献血を続けていましたから、ちょっと返してもらった気分です。)

[5] 私はバイアスピリンという薬剤の副作用で下血し、出血が止まってしばらくは、消化器内科の医者からはその服用を止められていたのですが、循環器内科の医者からは、服用を止めることは推奨できないと言われ、どうするかと聞かれても困ってしまいました。結局、心筋梗塞が再発すれば、かなり高い確率で死んでしまうが、下血ならば、また輸血でもすればなんとかなりそうなので、バイアスピリンは止めるけれど、クロピドグレルという(あまり聞いたこともない薬剤)を服用することを選択しました。ただクロピドグレルも似たようなものだと言われて、戦々恐々として毎日を送っています。